静岡22宿探訪-13江尻 [静岡22宿]
次郎長一家が勢ぞろい
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静岡22宿探訪に戻ります。
興津の次の宿場町は江尻
現在の清水駅周辺となります。
こちらは、清水港船宿記念館末廣
明治19年に清水次郎長が開業した船宿末廣を再現したものです。
次郎長は徳川家が作った教育の場・明徳館の中で英語塾を開設したそうです。
学問の大切さを理解していたようですね。
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静岡22宿探訪に戻ります。
興津の次の宿場町は江尻
現在の清水駅周辺となります。
こちらは、清水港船宿記念館末廣
明治19年に清水次郎長が開業した船宿末廣を再現したものです。
次郎長は徳川家が作った教育の場・明徳館の中で英語塾を開設したそうです。
学問の大切さを理解していたようですね。
江尻宿そのものは、東海道線の北側にある商店街に
ぽつんと、こんな標識が建っているのみです。
広重の描いた江尻宿です。
三保松原を遠望した絵になっています。
この日は東海道線の南側である海寄りの道を歩いています。
立派な蔵ですね。
こんな路地もありましたよ。
次郎長生家に行きたいのですが
この道でいいのかな?
次郎長通り商店街とありますから、ここでいいのだと思うのですが
人っ子一人いません。
おおっ、大丈夫です。
あと10メートルです。
中に入ると、三度笠が出迎えてくれました。
なんか今にも次郎長親分が出てきそうです。
こちらは、大政が使ったという袖がらみ。
次郎長28人衆
左から、小政・次郎長・大政・石松
なかなか良い展示でした。
平成28年に改修に入ったとのことですが、もともとの生家がそのまま使われて
いました。
さあ、巴川を渡って帰りましょう。
橋の左側に末廣も見えますね。
静岡22宿探訪-14府中に続く
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次郎長がそんなことをしたのですか。全く知りませんでした。
by JUNKO (2024-12-04 11:02)
江尻宿は、清水次郎長のシマの本拠だったんですね。
任侠から実業家へ転身した次郎長は、英雄ですよね。
地元の為に、多くの事で尽力されていますよね。
咸臨丸事件のように、泣ける話もたくさんある人物なんですね。
by 風神 (2024-12-04 16:43)
大政・小政を引き連れた三度笠の清水の次郎長、
余りにも有名な話ですね!
その頃の生活ぶりが想像されます。
確か映画にもなりました。
by ファルコ84 (2024-12-04 16:54)
ここが次郎長の拠点だったのですね。
生家が展示場所として残っているのは貴重です。
遊侠の世界の人と思っていましたが、後年は実業家、教育者でもあったんですね。
by Jetstream (2024-12-04 17:52)
次郎長の生家が今なおあるんですね。
先知る目があった次郎長だったんですね。
by えんや (2024-12-04 19:30)
以前調べてへぇって思ったんですが、次郎長って彼の
通称なんですよね。父親が次郎何とか...(スミマセン)
とかいう人で、その息子の長五郎だからそう呼ばれて
いたそうです。ちっちゃな頃から悪ガキで...♬ (ん?
どっかで聞いたような歌 ) 山本家に養子にだされたん
だとか。そう言えば我が家にも「屋根文」という屋号
があります。昔はそれで通じていたそうです。
by ゴエ (2024-12-04 19:57)
TO:JUNKOさん
そうなんです、私もここで初めて知りました。
学問の大事さをわかっていたようです。
TO:風神さん
そうなんです。
咸臨丸の遺体引き上げなど、官軍も賊軍もないですものね。
74歳で亡くなった時
3千人を超える参列者が死を悼んだそうですよ。
TO:ファルコ84さん
そうですね
海道一の大親分ですものね。
映画にもなってますよね。
by 八犬伝 (2024-12-04 20:46)
TO:Jetstreamさん
はい
まったく知らなかったのですが
明治維新後、清水港を国際港にするために奔走したようです。
TO:えんやさん
任侠の世界だけではなく、地域貢献もしたようで
随分と町民から慕われたようです。
TO:ゴエさん
次郎長生家で貰ったパンフレットによれば
船頭であった高木三右衛門の次男として生まれたようで
悪ガキぶりを直すため、親類に預けられたようです。
by 八犬伝 (2024-12-04 20:53)
次郎長はここに祭られていたんですね、初めて知りました。
森の石松の墓はお参りしてきました。次郎長は学問科でしたね。
長い間いろんな記事で楽しませて戴き有り難う御座いました。
by お散歩爺 (2024-12-05 06:34)
なんと次郎長の生家がこのような形で見学できるとは!
当時の様子がよく解る展示でやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2024-12-05 08:55)
私の記憶が怪しいコメントを一度書いて削除しちゃいました。
次郎長さん、地元で愛されてるみたいですね。
by sheri (2024-12-05 11:58)
清水次郎長のことは名前は知っていても
英語塾を開設したとか全く知らなかったです・
by kuwachan (2024-12-05 12:26)
ぽつんと標識を次郎長が見たら嘆きそう(^◇^;)
by pn (2024-12-05 14:00)
船宿、英語塾・・・清水次郎長さんは、
実業家でもあったんですね^^。
通りの名前にも次郎長と入ってて。
by Inatimy (2024-12-05 17:58)
八犬伝さん、私の記憶が違っていて失礼しました。私の
ゴエというのも、ゴエモンと呼ばれていたことからきて
いるのです(本名では違います!)が、大泥棒VS大親分
じゃあ敵いません.......
by ゴエ (2024-12-05 20:42)
TO:お散歩爺さん
次郎長の墓は梅薩禅寺という場所にあります。
こちらこそ、長い間ありがとうございました。
TO:ぼんぼちぼちぼちさん
そうなんです
しかも入場無料なんですよ。
TO:sheriさん
はい
明治維新後、地域にとても貢献したようですよ。
だから、地元の人に愛されたようですね。
by 八犬伝 (2024-12-05 21:26)
TO:
kuwachanさん
そうなんです
渡世人としては誰にでも知られていると思うのですが
明治維新後、地域に貢献したのは知られていないですよね。
TO:pnさん
ひっそりとあったのです生家は。
だけど、このまま保存したのは素晴らしい事ですね。
by 八犬伝 (2024-12-05 21:30)
TO:Inatimyさん
この通りは、次郎長通り商店街と名が付いていたのですが
完全なるシャッター商店街で
寂しかったですよ。
TO:ゴエさん
いやいや
ご丁寧にありがとうございます。
by 八犬伝 (2024-12-05 21:32)